言葉が知性をつくる

偶然、立て続けにヨーロッパの母語教育と日本の国語教育の違いを危惧する記事を読みました。

 

例えば、中央教育審議会前副会長の梶田叡一先生は「雪が溶けたら何になるか」という話を書かれています。

日本で「『水になると言ってはいけない。春になると言わなければいけない』などと言うのはおかしい」という指摘です。

「雪が溶けたら水になる」は科学の目、「雪が溶けたら春になる」は生活の目だと言い換えることもできますね。

(なお、山口大学の藤上真弓先生の論文に、同じ事例で生活科と理科について扱っているものがあります。)

 

日本の国語教育は、これまで「春になる」という心、イメージを大切にしようとする傾向の強いものでした。

しかしながら、「雪が溶ける」というのは、「気温が上昇する」ことで「固体の雪があたためられて液体である水になる」という状態変化、つまり、論理の変化を表しているものです。

その先の「気温の上昇に伴い動植物が活動的になる」や「雪溶け水が豊富になる」の結果を「春になる」と表現するのも、動植物や雪解け水に至るプロセスをたどることが必要で、これも論理の変化です。

イメージ(雪が溶けると春になる)は、論理の変化の先にあるものです。

つまり、国語(母語教育)、論理的思考力の養成、そして、理科の目を養うことは、不可分のものとして捉える必要があります。

梶田先生は、そういった授業を進めていくことで、言葉が知性をつくるともおっしゃっています。

 

クランポンスクールの国語を中心とした授業を「教科横断的思考力表現力」クラスと名付けているのも、そのためです。

例えば、上のようなベン図の学習も、中学年向けの横断プログラムのなかで行っています。

矢印や等号を用いて接続語の役割を確認し、接続語を用いた文章を書いたり、実践演習の場として社会科で学ぶ事例(ここでは、身近な商店について)に取り組んだりしているのもこの時間です。

文法の話をして、理科の話も社会の話もします。

そのなかで論理的思考を学び、書けるように、話せるように場数を踏んでいくのです。

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